『umigiwa profile』interview #03

2023.05.06

最後の砦となったシラス漁の網元。後継ぎの挑戦

 

冷水浦の水産資源と言えば、シラスだ。最盛期には「網元」と呼ばれる漁網や漁船を所有する漁業経営者が10軒近くおり、その主な漁獲物がシラスだった。しかし、後継ぎ不足からやむなく閉業し、2023年には1軒となった。この逆境を好機に変えようと、冷水浦の漁業を今一度盛り上げるべく邁進している人物が、八木 秀憲さんだ。

 

生まれ育った環境の影響か小さい頃から海に関心があり、水産関連の専門学校に進学。しかし、当初は継業の選択肢は念頭になかったと言う。「水族館やダイビングの仕事について学ぶなかで、僕が興味があるのは魚の鑑賞ではなく、海の生態系に直接関わることだと気付きました。地元の漁師が減っている事実もあり、15 年ほど前に家業を継ぎました」。八木家は1世紀近く続く網元で、古くは木製の船に乗っていた時代もあったそうだ。

 

 

秀憲さんが子どもの頃、漁港は活気に溢れていた。一度に3隻の船を操り漁を行う「船びき網漁」でシラスを水揚げし、岸と並行にカーテン状に網を仕掛ける「刺し網漁」でイワシやアジを取っていた。袋状の網を船で引っ張り上げる「底引き網」によりイカの漁獲も多く、漁港一帯でワカメの養殖まで行っていた。花見客のごとく深夜から場所取りをするほど漁船が多かったと言う。

 

だが次第に、水温の上昇や海流の変化により漁獲の量と種類が減少。約10年前、県から持続的な漁業資源の保全を目指した廃船支援の施策が出され、後継者問題に悩んでいた網元が一斉に船を畳んでいった。

 

 

毎年3月には漁港で「汐(しお)祭り」が開催されている。1670年から続く豊漁と安全を願う祭事だ。神主が祈祷するなか、参加者が順に祭壇に玉串を捧げたのち、玉串に小石の重りを付けて海に投げ入れ、最後にお神酒が振る舞われる。

 

今でも立派な祭事だが秀憲さんは「人口の減少と共に縮小しましたが、以前は集落の人たちだけでなく、湾内に工場を構える企業の関係者さんまで大勢が参加していました。大漁旗が揚げられ、巫女さんが舞い、皆で漁船に乗って太鼓を打ち鳴らして湾を一周しました。子どもたちも乗ってイカの天ぷらを食べたりしていたんですよ」と振り返る。

 

 

祭りの形は変化していったが、冷水浦の人々の温もりは昔のまま。結婚を機に移住した妻の紗弥香さんは「冷水浦の近所付き合いの多さには驚きました。港やバス停でいつも皆集まって楽しそうにおしゃべりして。私の地元も田舎ですが、こんな光景は初めてです」と語る。

 

冷水浦の漁業において最後の砦となった秀憲さんだが、その胸は不安ではなく希望に満ちている。「今は漁師は魚を取るだけじゃなく育てる時代です。養殖の勉強を進めて、いつかカサゴやカワハギといった地域にそった魚を育て、漁獲して加工して届ける6次産業にも広げていけたらいいですね。そんな新しい挑戦に向けて、冷水浦の漁業を一緒に盛り上げていける若い人を積極的に仲間に迎えていきたいです」。

 

現在、2023年秋にオープンする道の駅「海南サクアス」に魚を卸すことが決定している。まず美味しさを通じて、冷水浦の漁業の魅力を広く発信していくことになりそうだ。

 

 

※写真解説
1枚目:写真:冷水で唯一残る網元である家業を継業した八木 秀憲さんと、妻の八木 紗弥香さん(2023年)、2枚目:シラス水揚げ(1999年)、3枚目:アジの日干しのもとワカメの種付け(2003年)、4-5枚目:汐祭り(1992年)

 

 

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以上は、冊子『umigiwa profile』のweb版としての転載です。

発刊   2023年3月31日
企画   価値検証フィールワークユニット2023、友渕 貴之(宮城大学)
制作   前田 有佳利(noiie)
企画協力 日本建築学会海際文化小委員会、Seaside Monkey
制作協力 土井 佐知子(冷水自治会)
写真協力 内海小学校冷水分校資料、了賢寺