『umigiwa profile』interview #01

2023.05.04

町並みの変遷と、何年経っても変わらないもの

 

大昔には「冷水千軒井戸八百」と謳われた冷水浦。港を中心に大いに繁栄したことで民家と商店が建ち並び、冷たい湧き水に恵まれて多くの家々が井戸を設けたことから、そう謳われるようになったそうだ。ここ数十年の町並みの移り変わりについて、冷水浦で長年暮らす女性3名に話を伺った。

 

「私らが若い頃はだいぶん賑やかやった。店がようさんあったから人通りも多かったんよ」と杉本さん。魚屋やシラス加工屋、八百屋、酒屋、雑誌屋、美容院、駄菓子屋、手袋屋、洋服の仕立て屋、銭湯、さらには現在のコンビニにあたる万屋まであり、肉以外は集落内でほぼ買い揃えることができた。卵を持っていくとハムを乗せて焼いてくれるお好み焼き屋や、岡持ちに乗せて配達してくれるうどん屋など昔ならではの飲食店もあったと言う。

 

西川さんによると当時「お通」と呼ばれる常連用の帳簿が各店舗に設けられており、「『お通』があったらお金持たんでも買い物ができてね。ツケをして月給もうてきた時にまとめて払いに行ってたわ」。

 

 

現在、冷水八幡神社を会場として、春は豊漁豊作を願う春祭り、夏は病気や気候変動から人々を守る夏祭り・七夕祭り、秋は豊漁豊作に感謝する秋祭り、冬の12月31日は朝から除夜祭が行われ、十日戎では地元の女の子たちが巫女姿で舞を踊っている。

 

祭りの火こそ消えてはいないが、 数十年前までは少年野球のチームが屋台を出して焼きそばを振る舞い、子どもたちが手づくりの神輿を引いて集落中を練り歩くなど、大賑わいだったそうだ。さらに夏の三晩連続で盆踊りが開かれ、集落独自の歌や踊りまで存在したと言う。「仮装行列があって女の人も男の人も皆揃いのムームー着て踊ったこともあったね」と西川さんは当時を楽しそうに振り返る。少子高齢化で集落の人口が減り、西川さんと杉本さんが生まれる前から続いていた盆踊りは2002年に中止となった。

 

 

商店や祭りだけでなく、海際の景観にも変化があった。現在、冷水浦の東側の海沿いには工場や公共のプールなどがあるが、これらは1974年の埋め立て後に建設されたものだ。それ以前は、松の木が一本植えられた「沖島」と呼ばれる小島があり、風光明媚な景色が広がっていた。杉本さんは「昔は堤防から沖島まで泳いで渡って。今みたいに浮き輪なんていいもんないから、皆布で縫うた袋持って泳いでね。巻貝を取って重たなった大きな袋をなんとか必死で担いで戻ってきてた」と懐かしい笑い話に顔をほころばせる。

 

 


さまざまな変遷を辿る冷水浦だが、変わらないものがあると服部さんは話す。「嫁に来た時、よそ者の私に対して集落の誰もがすごく親切にしてくれてね。今も皆よくうちに遊びに来てくれて、おかげで独り身になってからも寂しさを感じない。感謝と喜びの毎日です」。冷水浦内は遠い親戚関係にあたる世帯が多く、移住者を含めて昔は近隣の同世代で子育ての苦楽を共有してきた背景もあり、集落全体が一つの大きな家族のような関係性にある。

 

さらに2020年頃から20代30代の移住者が少しつず増え、ついには飲食店(interview #05後述)までオープンした。「若い人らが来てくれて皆喜んでるわ。来週また行こうって楽しい約束ができる場所が集落にできたのもええね」と服部さん。“冷水浦の家族”の構成は、縮小の底を脱し、新たな形で広がりを見せつつあるようだ。

 

 

※写真解説
1枚目:1959年に冷水に嫁いだ服部 節子さん、生まれも育ちも冷水の西川 菊代さんと杉本 忠代さん(2023年)、2枚目:商店街の様子(2002年)、3枚目:夏祭りの子ども神輿(2003年)、4枚目:昔の冷水浦 (1920-30年頃)

 

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以上は、冊子『umigiwa profile』のweb版としての転載です。

発刊   2023年3月31日
企画   価値検証フィールワークユニット2023、友渕 貴之(宮城大学)
制作   前田 有佳利(noiie)
企画協力 日本建築学会海際文化小委員会、Seaside Monkey
制作協力 土井 佐知子(冷水自治会)
写真協力 内海小学校冷水分校資料、了賢寺